果糖の真実

果糖の真実


カロリー方程式最大の難問 

先日「秩序とカロリーの神話」の中で、カロリーという単位は人体の反応と無関係であることを紹介しました。そしてその人工単位に基づいて施策を練る過程で、我々の視点軸が現実から仮想へと 離れていく経緯について考えてみました。 

カロリー神話にあてはまらない現実は沢山あります。その中でも最大の異端と言えるのがこの果糖です。 

果糖は血糖値を上げにくく、インスリン反応も低いです。それでいて甘みが強いため、普通の砂糖よりも少量で済みます。それでは果糖は「OK」なのでしょうか? 

情緒が科学に勝る理由 

「食べるモノとなりたい身体の関係」や肥満、そこから派生してくる成人病の問題を考える際、カロリーや栄養学云々を論じる 前に、我々が克服しなくてはならない余りにも根源的な状況があります。 

 これはちょうど、 生まれてからずっと一間で象と同居している人が「どうもこの部屋は窮屈だ。どうしたものか。」と悩んでいるようなものです。

つまり象をどうにかするという考えが俎上に乗らない限り、問題解決は遠いだろうということです。 

栄養や食事の取り組みにおける象、それは「食べたい」という問題です。 

健康食の指導者たちが「食べるべきもの」「食べてはいけないもの」を列挙していくにつれ、その過程で、どのように合理的な説明を付加したとしても、聴衆に湧き上がってくる感情は一つ。「それじゃあ食べられるものが何にも無いじゃないか」という不平不満です。 

要するに「食べたい」という象を認識し、コントロールすること、またその方法について考えること、これらを省略した議論は何の役にも立ちません。人間の食欲は健康を最適に保つようには働かないからです。 

もし食事に対する感覚が「手が汚れたから手を洗う」程度の衝動であれば、何の苦も無くコントロール出来てしまうでしょう。そうではなく偏食や食欲の問題は手洗いに例えると「血が出るまで手を洗いがち」であるとか「手がボロボロにならないんだったらいつまでも洗っていたい」というような状態ですから、合理性の 不在が根底にあります。 

進化遺産との戦い 

話を果糖に戻します。我々が果糖を「甘い」「美味しい」と思うことに健康への合理性はありません。つまり「果糖を食べると健康になるから美味しいと感じる」ように人間は進化してきたわけでは無いのです。

進化 における合理性は「健康」ではなく「サバイバル」に照準があります。日々、生きるか死ぬかの境で生きながらえてきた動物、そしてその一部である我々人間においても、システム上「サバイバル」がデフォルト(通常モード)として設定されています。

「カフェイン伝説」で取り上げましたが、人間はとるに足らないストレスをいまだに「サバイバル・モード」で処理してしまいがちです。その過剰処置によって出来た傷跡が蓄積すると現代でいう成人病になると考えています。 

果糖と適者生存 

かなり昔、霊長類の先祖の時点で、遺伝子の突然変異により尿酸を分解する酵素が作れなくなりました。もっと正確に言うならば、その頃、尿酸分解能力を保持していた多くの種が死に絶えたのです。 

だから人間にも尿酸を効率よく処理する能力がありません。 尿酸の濃度が高いことは、糖尿病、肥満、高血圧、通風をはじめとする多くの成人病の症状でもあり、またその症状を悪化させる元凶にもなります。しかしながら、この成人病と表裏一体の高尿酸状態は、特に氷河期などにおいて、「サバイバル」の必要条件になったと考えられています。 

インスリン反応を鈍らせ、脂肪蓄積を促進する尿酸が増えたお陰で、少量の食事から効率よく身体に燃料(脂肪)を蓄えることの出来る「 メタボ猿」が登場し、これが他の霊長類を凌駕したということです。ちょうど、燃費の良いハイブリッド車・トヨタのプリウスが、普通のガソリン自動車を席巻してしまった状況と似ています。 

実は、その尿酸と体脂肪を同時に増加させる食べ物として最も手軽なものが果糖なのです。 

フルーツ VS 人間 

人間が得意とする炭水化物、ブドウ糖は身体の至るところで燃料として認識され、利用されるため、肝臓で代謝される量は摂取量の20%程度と言われています。またブドウ糖の摂り過ぎに対する制御も満腹感などのフィードバックメカニズムを通してある程度綿密に行われます。 

それに対し果糖は、身体の糖質処理システムをすり抜け、フィードバックシステムを作動させずにどんどん侵入してきます。最近の研究では果糖は満腹中枢を刺激しないどころか、逆に空腹感を助長する作用があることが分かっています。 

それだけではありません、果糖はブドウ糖より1.5倍も甘く、美味しいのです。果物は、その進化の過程で「美しく、美味しく、いくら食べても満腹感を誘発しない」ような種子拡散マシンとして発展を遂げてきたといえます。沢山食べられる果物ほど、より多くの種子がより広範に蒔かれ、生存するわけです 。 

果糖は血糖値上昇や満腹感をはじめとする、身体のチェックシステムを素通りしますから、組織で燃焼されずほぼ100%肝臓に行ってそこで分解されるしかありません。またその肝臓においても、ブドウ糖の代謝経路と重なるところまで一気に反応してしまいます。 

果糖が尿酸と中性脂肪を作る 

果糖がある時点まで一気に代謝されるということ、これが何を意味するかというと、果糖はほぼ100%肝臓に入り込み、そこで肝臓のエネルギーを自動的に収奪する、ということです。疲れた肝細胞は崩壊しますから核酸が出てきて分解され、尿酸が発生します。 

その上、果糖がブドウ糖になってすぐに利用される状況や割合は少なく、たいていは中性脂肪を増やす方向に影響します。 

アルコールを飲まなくても、肥満で無くても、果糖や砂糖(砂糖の半分は果糖)を大量に取り続けるだけで肝臓が疲れ、中性脂肪が蓄積して脂肪肝になるのはそのせいです。 

このようにして、果糖は尿酸と中性脂肪を作り出します。

健康条件 VS 生存条件 

繰り返しますが、高尿酸血症がもたらす弊害はまさに成人病全てといえます。通風、尿酸結石、動脈硬化、高血圧、腎不全などは有名なところです。また、尿酸はインスリン反応低下をもたらすため糖尿や肥満を誘発します。

それに加え、果糖はそれ自身が中性脂肪となって蓄積します。果糖は現代では、まさにメタボ症候群の親玉、負のスパイラルの起点であるということができます。 

逆に進化過程では、果糖のもたらす代謝ストップ効果が、カロリー節約とエネルギー貯蔵につながり、サバイバルの必要条件になったというわけです。 

我々はダーウィニズムを優秀性に準えがちですが、そう簡単にはいかないようです。 

サバイバルからのサバイバル 

ここで少しズームダウンして離れたところから図式を眺めてみます。すると明らかになることが幾つかあります。 

1. 人間にとって果糖はメタボリズムのスイッチオフ薬であり、食欲増進剤でもある。(果糖は「食べたい問題」を助長する。 )


2.  我々はメタボリズム低下と脂肪蓄積によって生き残った種であるから、常にそれを助長したがる傾向にある。 (「食べたい問題」)

3. 果糖や砂糖に対する人体の反応、および「肥満へのシステム的欲求」から得られる体型を、カロリー収支で説明してはいけない。 

4. 人間に備わっているサバイバルシステムは、健康や長寿を目的としていないため、それらに対する障害となることがある。 

5. パレオダイエット等においては、サバイバル要件と健康要件を混同していないかどうか点検する必要がある。 

商業主義 VS 健康志向 

人間には遺伝子のサバイバル記憶として肥満へのシステム的欲求が備わっています。このことを念頭に置くと、果糖分を多くしたコーンシロップなどの異性化糖、それを混ぜ込んだドリンク、お菓子などが、とめどなく人口に膾炙してゆく様は、まさに人間の本能に付け入った商業主義といえるでしょう。米や果物をどんどん甘く「改良」したりするのも同じです。 

果糖、砂糖の問題は、人間の代謝を変えるということ、食欲を増進させるということ、尿酸を増やすということなどに起因しているため、カロリー論では空振りとなります。熱量の平衡では無く、平衡を司る因子、撹乱する因子を考えないといけない。 

その上、進化の過程でアンチ・サバイバルだった食物・行為(代謝を上げるようなモノ・コト)が、現代ではアンチ・エイジングに繋がることがあるし、またその逆の例もあります。

現時点での健康・長寿を考えた場合、「自然」や「オーガニック」を全肯定すると、サバイバル本能への従属が強化されて逆効果になる恐れがあります。 殆ど果糖の「オーガニック・アガベ(サボテンに似た植物)・シロップ」は非常に美味しいです。

せっかく食べて身体に入れたエネルギーを、何故、ジムに行ってトレッドミルの上で一生懸命燃やさなければならないのでしょうか? 

これなどは、サバイバル要件(食べること、エネルギーの貯蓄) と 健康要件(代謝を上げる、貯蔵エネルギーを減らす) の確執であり調整であるでしょう。 

アンチ・サバイバルがアンチ・エイジングに繋がることの一例を挙げておきます。 それは、ある程度長時間空腹を保つことで健康効果が得られるということです。 

堀江俊之 



 

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